うつ病と適応障害と戦う中年SEのブログ

アラフォーでうつ病と適応障害になって今もそれと戦っている中年SEのつぶやきです。

自己紹介と経歴及び病歴

僕のブログへようこそ。

軽い自己紹介と経歴及び病歴を紹介させていただきます。

 

<僕について>

社内SE歴二十数年の平凡な独身中年男です。

・出身地:北関東某市

・現居住地:東京に接してる埼玉某市

・趣味:野球観戦、一人旅、お酒

・性格:人当たりが良い、マイナス思考、我慢しがち

※発症後に追加:自己評価が著しく低い、他人の目や評価が気になる、ちょっとした事を重く捉えて引きずる、気持ちの切り替えが上手く出来ない、「無理」や「出来ません」が言えない

 

<僕の経歴・病歴>

就職氷河期に某中堅システム会社の社内SE部門に新卒入社。

その頃は体力・気力共に充実しており、激務やストレスにも普通に耐えられました。

キャリア十年を越えたあたりで、社内のシステム部門でライセンス違反が外部監査の指摘により発覚。

当時社内IT資産管理担当だった僕が火消しの為、調査、対応を任される。

この中で元々あまり尊敬していなかった上司のメッキがどんどん剥がれていき、失望の中で火消しという名の尻拭いの仕事(まるで穴を掘ってまたその穴を埋める)をこなす。

褒められる事もなく、この頃から心と生活が荒み始めました。

そして数年後の朝、身体が動かなくなりそのままうつ病を宣告され3ヶ月の休職。

復職後、メッキの剥がれまくった上司から「周りの目があるんだから」と言う心無い言葉を何度も聞かされ、人事にも相談したものの改善されずに再び休職。

6ヶ月後、再復帰を果たすも、長期休職からの罪悪感や上司の相変わらずの人の気持ちの分からない対応から、やはり体調が悪くなり、ついに会社から諭旨退職の勧奨を受ける。

そこで外部の再就職支援制度を紹介され、17年勤め上げた会社を退職。

身体を休めながら再就職支援制度を使い、コンサルタントの助言を受けながら半年後に転職。

今度の会社はシステムとは無縁の流通系会社の情報システム部に配属。

実はこれが一番マズかった。

会社は昭和感が満載で一族経営で上層部は社長一族に良い顔することしかないような状態。

それでも最初はシステムに精通しているとしてシステム更改を課長の下でサブリーダーとしてリリースさせ、上々な評価を得ました。

その後、別システムで炎上している所にヘルプで投入される。

そもそも会社がシステム素人で社長とズブズブなベンダーに牛耳られていて、バグまみれでも業務設計が出来ていなくてもベンダーに押し切られて無理やりリリースしたのでそりゃ炎上は当然。

僕が入ったものの、逆に僕に責任を押し付けようとするパワハラ次長の果てしないプレッシャーにより、適応障害を発症して休職。。

半年後に復職を果たし、今度は課長の下でリハビリをしながら順調に回復をして行ったが、次長から部長に昇進していたパワハラ野郎に目の敵にされ、復職から半年経過後くらいから人前で怒鳴られる事や挨拶をしても無視など、あからさまに不遇な扱いを受ける。

そしてトドメは評価面談。

通常は部長とタイマンなのに僕だけは役員、パワハラ部長、別の課の課長との面談。

そこでパワハラ部長から「お前は会社に貢献出来てない」「20年やってこんなもんか」「病気を言い訳にするな」等等、言われて精神崩壊。

適応障害が再発し、再休職。

主治医からも環境を変える事などの配慮を会社に申し入れしたものの、会社は受け入れず、さらにパワハラを認めず、隠蔽。

もう復帰は諦めて、傷病手当が貰える期限まで休職し、そのまま退職。

なかなか回復が遅く、しばらくは気持ちを落ち着かせる事に終始。

回復して来た段階でハローワークに通い出す。

ハローワーク精神保健福祉士がいて、過去のそう言った経緯や精神的なカウンセリングを受けながら、職探しをする。

主治医からも再就職問題ない旨診断を受けて募集申し込みと面接を開始し、SES会社に正社員として滑り込み完了。

現在は某社のシステム更改プロジェクトにBPとして参画しながらうつ病適応障害の再発への不安や後遺症と戦いながら働いております。

 

自分の経験や日々の生活など、チラ裏レベルですがゆったりまったり書いて行ければと思います。